1月2日
寝付けないアタシは、よくチャットのお世話になっている
夜中の話し相手は、躁鬱を患っている人だった
ちょっと嬉しかった。睡眠障害もあって、分かり合える人と話ができるのは心強かった。患って長いらしく、躁鬱とのつきあい方も折り合いがついてるらしい。
アタシはまだ鬱を受けいられないでいる
もっと暗くどん底を這いつくばるイメージがあって、そうではない、と思っている
もちろん、以前とは別人だとは思うが
アタシの幼少時代しか知らない人は、アタシのことを優秀で人望がある、と思っている
頭もよかった、周りからも慕われていた
そういう自分が当たり前だとも思っていた
そのイメージでいなくてはいけない、と思っていたのかもしれない
子供の頃から無理をしていた
周りからの信頼を失いたくなかった
何故かは分からないけど、そんな自分が好きだったのかもしれない
今思えば滑稽な話だ
そんな自分はいまだに存在する
ホントは何にもしたくないのだ
洗濯も掃除も料理も仕方なくやっている
家にいるのだから、これくらいはしないと、外で頑張る旦那さんに申し訳ない、その思いだけ
一人暮らしの時、気楽なものだった
もともと散らかさないから、掃除はそれなり
洗濯も2.3日置き、料理は人が来るときだけ
だから苦じゃなかった
多分、すでに鬱を発症していたのだが、心より体調に現れるタイプだったらしい。それが災いしたのだろう。偏頭痛とだけ診断をもらっていたのもあって、その薬しかもらわないし、自分もそうだと思っていたのだから。心が病んでるなんて思いもしなかった。セカンドオピニオンでかかった先生から、鬱ではないか、と言われたのだ
最初の先生は、父親が認知症で今もお世話になっている。父親に付き添ったときに、ちょっとした話から、看てあげるから、かかりにおいでと言われたのだ。
その時点で分かっていたら早期で回復していたのかもしれない
4年以上も前の話だ
今さらだけど
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